表現の自由 2020 12 5

「広告があると、表現の自由が制限されるのか」
 あなたが「車好き」だったとする。
オートマチックではなく、
マニュアルが全盛だった時代の車を探し出して、
上手に整備して運転を楽しんでいる。
 ところが、世の中、ガソリン車を廃止して、
電気自動車にする動きが進んでいる。
 「車好き」の人にとっては、
電気自動車は、車ではないという。
 実に滑らかな加速で、いつの間にかスピードが出ていて、
まるで新幹線のような加速である。
 このような加速では、車の醍醐味が感じられない。
ガソリン車こそ、車を乗りこなす醍醐味がある。
 しかし、世の中の動きは、電気自動車である。
危機感を感じた「あなた」は、
ガソリン車の魅力を伝えるために、
手持ちの一眼レフカメラの動画撮影機能を使って、
数分程度の動画を作って、インターネットに公開した。
 これで「めでたしめでたし」となるか。
もし、あなたが作った動画の片隅に広告があれば、
表現の自由が制限される懸念があります。
 実は、こんな話を見聞きしたことがあります。
これは、自動車分野ではなく、政治分野の動画だったと思いますが、
動画の片隅に広告があると、
政治的に反対の立場の人たちが、
広告を出している会社に対して「クレーム」を入れるという。
 そうすると、そういう会社は、
やっかいなことに巻き込まれたくないので、広告を取り下げるという。
 さて、素朴な疑問ですが、このようなことに対しては、
そもそも動画に広告をつけなければよいのではないかと思います。
 広告がないほうが、視聴者の好感度がアップします。
広告があると、画面の表示が遅くなるなる上に、重くなります。
 これは、テレビドラマの録画を見る時に、
コマーシャルを「先送り機能」で省略するのが面倒なので、
録画機にコマーシャルだけカットして録画する機能が欲しいと思う視聴者心理のようなものです。
 はたして、動画を公開すると、自動的に広告が入ってしまうので、
動画制作者は困っているのでしょうか。
 さて、政治的に意見が反対の立場の人たちが、
広告を出している会社にクレームを入れるという「裏技」に対して、
苦慮しているという状況については、その仕組みが詳しくわかりませんが、
もし、表現の自由が結果的に制限されるとしたら、問題があります。
 そのような心配があるならば、
自力で動画サイトを立ち上げてしまえばよいのではないかと思います。
既存のプラットフォームを利用するからこそ、いろいろな悩みが発生するのです。
 今の時代は、そういうことが可能です。
自力でインターネットの中に「テレビ局」を作るようなことが可能です。
これならば、政治分野において、「表現の自由」が確保できます。
将来、「インターネットから広告を排除しろ」ということが大運動になるかもしれません。

政治家の不満 2020 11 29
 政治家は、大いに不満を持っているでしょう。
すばらしい政策を作ったのに、マスコミは全く取り上げてくれなかった。
それなのに、過去の失敗をふくらませて、大スキャンダルかのように報道する。
 あるいは、過去の実績は、全く取り上げず、
過去の失点だけは、まるで特集のように編集して報道する。
 新聞の顔写真には、変な顔だけ掲載する。
これは、今のカメラは、1秒間に何枚も連写できるので、
変な顔になった写真だけ取り出して、報道写真として使う。
(高性能な一眼レフカメラでは、1秒間に10コマ以上撮影できますので、
変な顔になった表情をとらえることが可能です)
 そういうわけで、たいていの政治家は、
マスコミの報道に大いに不満を持っているのです。





























































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